おらほ村の暮らし

私たちにしかできない
私たちの村を。

田沢の歴史と旧跡

田沢は東御市の北西に位置する古い集落です。
東を金原川、西を成沢川というふたつの流れにはさまれた標高700mから1,000mに至る南西斜面の高原は、
その名の通り先人たちが沢に切り拓いた 豊かな田 と、 リンゴ ブドウ クルミ などさまざまな果樹や
高原の太陽に育まれた おいしい野菜 に恵まれ、 犬ものんびり 蛙も眠い
穏やかな田園で約200世帯の家族が暮らしています。

集落の中心は 美都穂神社 という神社で、諏訪大社と同じ年におこなわれる 御柱祭 は観光客も楽しめる村の祭りです。
私たちは行政でいう「田沢区」の区域を超えて、この神社を中心に東は 儘念坊 がある 金原ダム から西は湯楽里館オラホビールまで、
北は 大富士神社 浅間高原カントリー倶楽部から南は 児玉山 までを含む、広い範囲を「田沢おらほ村」と呼んでいます。

日当たりがよいこの土地には縄文時代から人が住み、東田沢には伝説の遺跡 沓形石 が、
児玉山には1,500年前につくられた 古墳群 が残っています。
古代に製鉄がおこなわれていたことを名に示す タタラ堂 や、馬の産地として知られた歴史を偲ばせる 馬頭大士碑 など、
村の中にはさまざまな旧跡があり、なにげなく歩いていると、道の傍らに小さな 道祖神 を見つけることもよくあります。

田沢おらほ村の人びと

いまから6年前に住民有志が「田沢おらほ村」という名の地域活性化グループを立ち上げ、
村内の 案内看板 をつくったり、 農産物の直売会 を開いたりするほか、
高齢化の進む集落に増えている空き家を活用して、古い村落を新しい世代に引き継ぐための活動を続けてきました。

「おらほ」は、「私たちの(ほう)」という意味の方言です。
メンバーは30代から70代の田沢住民で、地元で農園を営む 農家 自営業 、定年後は農業に勤しむ 元会社員
などさまざまですが、ほとんどの者がなんらかのかたちで農業に携わり、
暇を見つけては 木遣り 獅子舞 の練習をする者もいて、みんな地域の伝統と故郷の風景をこよなく愛しています。

田沢は景色がよい、田沢は人が面白い、田沢は野菜がおいしい、田沢にはワインもある、といって、移住を希望する人が増えています。
「関酒店」の 店番 も、「

清水さんの家

」の管理人も、
東御市で仕事をはじめたのが縁で田沢に惚れ込み、おらほ村の仲間に加わろうという若い人たちです。
もっと田沢を楽しくしようと、いろいろなプランを考えています。